THOUGHT
開発者の想い
【第3回 売れない企画。】
売れない企画だと反対されても譲らなかったのは、商品化の目的が別にあったからでした。
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最初の一歩
2000年9月、大勢のブレーンに支えられて、アーツブレインズ社をスタートします。
社名には「情熱と確信、反抗心と行動力」と言う思いを込めて、「歌舞(カブ)く」の意味をあてた『arts』と「応援してくれる仲間たち」 をイメージした『brains』という単語を合わせて『arts brains』という名前を選びました。 -
資金の無い商品開発
創業の資金もなく、他に収入の当てがない中でしたが、たくさんの仲間達が応援に駆けつけてくれました。私が代表と開発、経理総務を旧友の池村武司氏、 営業を松浦賢氏が担当することとし、3人でそれぞれの経験を生かし、新会社を設立して出発しました。
最初の商品のコンセプトが決まり、『完全ふたえ』『ふたえ自由自在』という開発スローガンが決まると、もう迷いはありませんでした。
あとは睡眠時間を惜しんで実験を繰り返し、沸いてくるイメージとアイディアを全て検証し、一挙にまとめ上げていきました。 基本特許の理論を導き構築するのにさしたる日数はかかりませんでした。つぎに、製造ラインを検討し、商品化コストの試算を重ねていきますが、 商品化の資金がありません。デザイン制作や携帯ソフトのプログラム制作などの僅かな収入しかなく、3人それぞれがアルバイトを探すことになるのですが、 高年齢と不景気で仕事が見つかりません。資金を出そうという友人もありましたが、会社設立の時に「無借金、無手形」を目指していたこともあり、 0から仕事を始める覚悟だったので、資金がなくても借金をすることは考えませんでした。
私たちは、会社設立の挨拶と商品と企画書を持って、これまで応援してくれた知り合いの会社を訪ね歩き、 「資金がないから、最小ロットの見積もりが欲しい」と頼んで廻りました。 暗くなって事務所に帰ると、早くも見積書がfaxで届きます。「見積もり0 円」。 つまり、出世払いで引き受けてくれるという意味です。感謝の気持ちと、 「人こそが財産だ。恩は一生背負わなくてはならない。」 ということを心に刻みました。
まさに、 「情熱と確信、反抗心と行動力」。 そして 「応援してくれる仲間たち」。という社名のスピリッツに支えられ商品作りがはじまったのでした。 -
売れない企画
商品名をmezaik に決めました。
しかし、友人のコピーライターの猛反対にあいます。音の響きに、モザイク、ブサイクなど負のイメージ連想があるから駄目だとの意見です。 さらに、ふたえ化粧品はコンプレックスマーケットなのだから、デリカシーが必要。売り場にも背信行為。せっかく商品が良くても売れなくなる、 反逆的、危険すぎる、というのが反対理由でした。全てもっともであり、 解っていた事でしたが、これほど売れない理由を並べて反対されると、 事業失敗のイメージが頭の中を占めていくものです。でも、本当の意味で私に、この事業の覚悟をつけさせてくれたのはその時だったのだと、 今では振り返っています。このあと全力で応援してくれた彼にも本当に感謝しています。
このとき売れないと言われたmezaikという名前が、ぶつかった最初の壁であり、その理由こそが事業の目的に対して 立ちはだかる敵の姿であると気づかされたからです。「この商品の目的は何だろう?」。それは、ふたえメイクをコンプレックスマーケットから 脱却させることでした。反逆的だと言われてもかまいません。売れるか売れないかだけが商品の是非ではない。開発には目的があります。 必ず売れる日が来る。真っ向から挑むことがこの仕事なのだという覚悟をつけて、商品名をmezaikに決定しました。 -
mezaikの船出
いそいでmezaikの商標を取得し、パッケージも従来品のメッセージ性の低い地味なモノ とは異色のピンクパッケージにし、メッセージ力の強い目立つデザインで販売を開始しました。
販売開始時は、マーケット(売り場)の抵抗が大きく、テスト販売としてmezaikを1つのお店にだけ置いて貰うのがやっとでした。 短期間のモニター販売を了承し、「売れな かったら引き上げます」という厳しい条件の基でのスタートです。
一週間が経ち、mezaikは完売。それまで内緒で使われていたふたえメイクでしたが、 ものすごい勢いで口コミが広がり、その翌週には 、店頭にmezaikを求める大勢のお客さまが集まってくださいました。
コンプレックスマーケットが壊れ始めた瞬間でした。