THOUGHT
開発者の想い
【美への探求 vol.03】
二足歩行は悲劇をもたらした。だが、悲劇が希望を生んだ。
霊長類は6500万年をかけて二足歩行を可能にしましたが、私たちホモ・サピエンスにいたるまでに、脳はすさまじい試練の進化の道をたどります。
猿が優れた運動能力のために手に入れた尻尾を、人は退化し失くしてしまったのは周知のことです。猿は枝につかまったり、木の実を採取する、樹上生活に便利な手足の機能を手に入れました。
しかし、人は木登りのために進化した後ろ足の機能を退化させ、再びサバンナに立つための足を手に入れました。
さらに、進化の象徴と思われてきた「脳」も、退化した一面があるのをご存知でしょうか? 一見、動物にとって脳の大きさは進化や賢さの象徴のように思われていますが、
実は、脳容積の巨大化は動物にとって必ずしもメリットではありません。
脳は消費エネルギーが多いため、動物の効率的な運動にとって脳の巨大化はリスクも多くなります。また、脳は発熱に弱く運動による体温の上昇でもダメージを負ってしまいます。
動物たちは進化の歴史のなかで、自分の体の大きさや運動能力に最適化した脳の大きさになります。つまり、最適な大きさになると脳の成長を止めるという遺伝子を手に入れていました。
ところが、二足歩行を始めた人類には、今までとは違う事情が発生してしまいます。
その一つは「二足歩行によって骨盤が閉じ、産道が狭くなってしまった」ということでした。産道が細くなった人類にとって、生まれることができる子どもは超未熟児であるという
条件を課せられることになります。つまり、産道を通るために赤ん坊に必要だったのは、小さな頭と小さな体だったのです。
このとき、子孫を残すために人類が得たものこそが、脳も体も未成熟な小さい状態で産むことと、生まれた後も脳の成長を止めない(脳の成長を止めるという遺伝子を捨てる)という能力でした。
通常、哺乳類は脳の細胞と器官が完成した状態で生まれますが、人間の場合は左脳が未完成のまま、小さな脳の状態で生まれます。しかし、それはやがて大きくなり、一生成長し続ける脳になるためでした。
氷河期を迎えると、木に登ることのできない猿たちは、乾燥によりジャングルが失われるサバンナの大地に立ち、二足歩行を始めました。
メスは超未熟児を育てるために両腕に赤ん坊を抱き、直立で歩くことを余儀なくされ、オスは直立歩行の能力を食べ物の採集や狩猟のための手の進化へと導きました。
産んでも産んでも育つことができない超未熟児を腕に抱え二足歩行をするメスは、死んでも死んでもあきらめない強い母性を得ていきます。また、オスはそんなメスと子どもを必死に守ろうとする父性を手に入れます。
二足歩行の悲劇は、人の脳に革命を起こし、人間的な愛情や優しさ、強い母性や父性を与えてくれることになったのでした。
text:野尻英行