THOUGHT
開発者の想い
【美への探求 vol.08】
“北方系モンゴロイドと南方系モンゴロイドの誕生”
7万年前辺りから海水面が下がり出現したスンダランド大陸(氷河期には海の水位が120mも下がっていた)にやってきた(およそ5万年前)モンゴロイド達は、湿潤で豊かな熱帯で大繁殖を遂げます。しかし、温暖期に入ると氷河が溶け始め、再びスンダランドは水没(7000~6000年前には完全水没)し始め、スンダランド人たちは、アジアの海岸沿いや東方の島々へと拡散していきました。この人達が南方系のモンゴロイドです。
瞼の違いには、大きくは3つの要素が関係しています。
まず一つ目は、眼窩脂肪の量の違いです。上眼窩と眼球の隙間を埋める眼窩脂肪の量が増えるにつれ、瞼と瞼板の隙間となるV角度が広くなり、奥ぶたえやひとえ瞼が生まれやすくなります。
二つ目は、鼻根と眉骨の高さの違いです。眉根が低いと蒙古ヒダができやすく、眉骨が高くなるとふたえ幅が大きくなりやすくなります。
日本人の場合、子どもの時にひとえだった眼が大人になるとふたえになるのは、大人になるに連れて眉根と眉骨の高さが成長するからです。鼻根や眉を引っ張るように持ち上げると、
ほとんどの人に欧米人のようなふたえ瞼のくぼみ線ができるのが判ると思います。三つ目は、瞼板と眼輪筋を繋ぐ挙筋腱膜という筋繊維そのものの強さも要因となります。
一方、アラビア半島からインド半島を北上したモンゴロイドたちは、採集狩猟の生活でマンモスの群れを追いかけ、
大陸を南北に移動を繰り返しながら中国大陸全土へ拡散していきました。この人達が北方系モンゴロイドです。
さらに、シベリアにたどり着いた彼らは、ベーリング海峡を通って北アメリカ大陸にまで渡っていきました。また、東ユーラシアへ向かい拡散した北方モンゴロイドは、
マンモスを追って日本まで到達していたと見られます。
日本人の起源といわれる古代縄文人は、北方モンゴロイドと南方モンゴロイドの両方のDNAを持つことがわかっています。更に後期弥生時代から古墳時代になると、 極北で繁栄した(ひとえ瞼の)モンゴロイドが朝鮮半島から大勢やってきます。こうした人々が更に交雑して現在の日本人になりました。
アフリカ大陸を出たホモ・サピエンスは6万年の時を経て、あるときは他のホモ族(ネアンデルタール人やデニソワ人)と交配し、
またあるときは行き着いたその土地の気候や食べ物に応じて、体つきやメラニン、顔の特徴を変えていきました。
19世紀に入ると経済発展が世界の市場や植民地を求めて、
人種の移動と交わりが活発になります。さらに20世紀に入ると世界各地で起こる戦争が難民を生んだり、入植による民族の移動と交わりがより複雑化し、DNA交雑の要因になっていきます。
人類の姿はこうしてますます多様化する時代になったのです。
text:野尻英行