THOUGHT
開発者の想い
【美への探求 vol.09】
“「縄文系」と「弥生系」。ひとえとふたえの人がいるのは何故?”
日本人の顔について行われた調査の一つに、ひとえ瞼とふたえ瞼の割合を県別に調べたデータがあります。ふたえ瞼が特に多いのは沖縄県と北海道で、 ひとえ瞼が特に多いのは和歌山県と奈良県という結果がでました。アフリカで生まれた人類の先祖はみんな、ふたえ瞼であったといいます。英語では、ひとえ瞼のことを 「Oriental eyelid」というそうです。世界的に見るとひとえ瞼というのは、東洋人(特にモンゴル、中国、韓国、日本)の特徴だということなのでしょう。 では、私たち日本人のひとえ瞼はどのように誕生し、地域的な分布があるのでしょうか。
瞼の違いには、大きくは3つの要素が関係しています。
まず一つ目は、眼窩脂肪の量の違いです。上眼窩と眼球の隙間を埋める眼窩脂肪の量が増えるにつれ、瞼と瞼板の隙間となるV角度が広くなり、奥ぶたえやひとえ瞼が生まれやすくなります。
二つ目は、鼻根と眉骨の高さの違いです。眉根が低いと蒙古ヒダができやすく、眉骨が高くなるとふたえ幅が大きくなりやすくなります。
日本人の場合、子どもの時にひとえだった眼が大人になるとふたえになるのは、大人になるに連れて眉根と眉骨の高さが成長するからです。鼻根や眉を引っ張るように持ち上げると、
ほとんどの人に欧米人のようなふたえ瞼のくぼみ線ができるのが判ると思います。三つ目は、瞼板と眼輪筋を繋ぐ挙筋腱膜という筋繊維そのものの強さも要因となります。
朝鮮半島からやってきて古墳時代の文化の中心を築いたといわれる北方系モンゴロイド。一万年以上もの長い間、最北端の地に生息してきた彼らは、脳と眼球を極寒の冷えから守り、 眼窩(アイホール)に脂肪を多く蓄えるために、眼窩の形が縦に長く変化したと推測されます。そのため、ひとえ瞼になり、更に目と眉の距離が離れ、顔に凹凸が少ないという特徴を得てきたと推測されています。 一方、縄文時代から弥生時代にかけて日本列島にやってきたと考えられる南方系のモンゴロイドはスンダランド人の子孫だと考えられ、 熱帯系の環境で長く暮らしていたいたために眼窩脂肪が少なく凹んでいる瞼のV角度が狭くなり、ふたえで彫りの深い顔立ちでした。
弥生時代の後期から飛鳥時代には、北方系モンゴロイドたちが朝鮮半島から日本に一番多くやってきました。百済や新羅を支配していた民族が製鉄、鍍金術、 織物や焼物などの職人集団を率いてやってきて、大和朝廷の支配階級として権力を握ると、瞬く間に日本列島にその血を拡げていきました。特にその血を強く受け継いだ貴族たちの面立ちは、 色白で面長、のっぺりとし、ひとえ瞼の人が多かったようです。こうした姿は当時の美人画としても残されています。
一方、縄文人や古代豪族の末裔が多い武士階級は、戦国時代の武者絵などにも見られるように縄文系の顔をしています。ふたえ瞼で眼がギョロリとし、 鷲鼻で髭の濃い武将たちの絵が多く、これは南方系モンゴロイドの特徴を受け継いだものと考えられます。
こうして二つの民族の顔の特徴が混ざり合い、今では私たち現代の日本人の顔ができあがりました。
text:野尻英行